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不定期更新で思ったことをだらだら述べるブログ

“私は”納得いかない「トイ・ストーリー 4」感想

本編批評のためネタバレあり!

 

 ここに書いてあるのは「私」個人の感想です。今作を「良い」と思えない人の感想です。私は「トイ・ストーリー」シリーズとして受け入れられない、という考えをもっています。

 

もし私の感想を読んで「否定派は頭おかしい」と思ったのなら、「この人頭おかしい」と個人の範囲に留めてください。

 

とはいえ ファンは観るな とは言いません。それに、今作を肯定的に評価をしている人を非難することだってしません。自分の目で確かめ、自分の意見を尊重してください。

 

 

あらすじは省略させていただきます

 

【前置き】

そもそも、何故こんなにも「トイストーリー4」が賛否両論なのかは、きっと今作をどのように受け取ったかで違うと思うんです。

 賛成側はきっと「自分の与えられた役割を否定してもいい、自分の意思で行動した」という風に受け取ったので、「これはすごい。ウッディは自分の意志で行動した。今までとは違っておもちゃでなくて良いんだね」と感じたのでしょうか。

 一方、反対側は「トイストーリーというシリーズとしてどうなのか、前作の続きとしてどうなのか」として見たのでしょうね。まあ私は後者だったわけですが。

 この記事では「トイストーリー」シリーズとして見た「トイストーリー4」の感想を述べています。

 

 

 

 

【ここが嫌だよ4】

 

ウッディの扱い

何故かボニーに都合よく無視されていました。それも一人だけ。

これだけでも理不尽だというのに、ボニーの父に二度も踏まれるシーン、ボーにひたすら失敗をグチグチ言われる、ボイスボックスを強奪されかけるのが可哀想で目も当てられなかったです。


物語の中盤、人質となったフォーキーを助けようとしたウッディに、誰も賛成しようとしなかったのが観ていて辛かったです。「冷静になれ、今助けに行っても打つ手はない」というニュアンスのボーの台詞がありましたが。その後、誰かを助けようとするウッディを「頭おかしい」と小馬鹿にするシーン。辛すぎます。確かにあの時のウッディたちの態勢は良いとは言えませんでした。それでも彼を肯定しようとする者は現れなかった。

 

ウッディのボイスボックス(背中のひも)はギャビー・ギャビーという人形に譲られました。

背中の紐でアクションをしたり、「俺のブーツにゃガラガラヘビ」「銃を捨てろ、手ぇ上げな!」「あんたは俺の相棒だぜ!」と言ってくれるウッディがいなくなってしまった。しかし言い換えればギャビー・ギャビーをもう一度「おもちゃ」にしてあげたい彼の優しさからの行動かもしれませんが。


バズが…

彼はもっと自分で判断できた。

どれほどリスクの高い冒険だろうと、誰かを救うために行動したウッディと共に駆けていった。

しかし今回は「内なる声」に頼りすぎ。


バズはそれほど単細胞ではありませんし、自分の頭で考える性格の持ち主です。でも

天然ボケなところもあって。それに加えて機転の利く男です。

トイストーリー」では自分がおもちゃであることにショックを受けて絶望の縁に立たされていましたが、ウッディと和解しおもちゃであることを受け入れて立ち上がりました。

「2」ではおもちゃとして遊ばれること、それが我々にとっての幸せじゃないかとウッディを説得した。それにスリンキーたちが弱音を吐いているときは、ウッディに助けてもらった。だから今度は私が助ける番だ と言っていたのが素敵でした。

別のバズは通気口を突破するために「頭を使え」と言って、文字通りレックスの頭を使っていたり。

「3」では「はり」という言葉から、レックスのしっぽを使ってその場をやりきろうとしました。スペインモードになっても、笑いはしたけどとってもカッコよかったよ。一目惚れしたジェシーに猛アタック。彼女の危機には危険も顧みず助けに行った。輝いてた。


今作のバズ、あんまり見せ場無かったのが残念かな。内なる声を内臓ボイスという結論で終わらせて、そればっか気にしてさ。中盤でウッディと別れるときも内なる声。相棒との永遠の別れかもしれないというのに、内なる声はないでしょう。どうして考えないの。フォーキーを救うこと(自分なりに使命を全うしようとする)で一杯一杯のウッディに、きっとウッディを落ち着かせ、冷静に状況を分析し、何か策を練ったと思うのは私だけですか?

 

バズはもうただのアホじゃないっての。

 

ボタンをポチポチポチポチ…自分の納得できる声が出てこなくって、「自分はこんな答え求めていない、内なる声は自分の考えのことだったのか。そういうことだったのか」と気付いて行動するのかな…と思ってたら最後の最後まで内臓ボイスに頼りっぱなし。どうして…?


ボーの変化

いくらなんでも2~3年で変化しすぎではないでしょうか。たしかに埃まみれになって放置されるのは想像つかないくらい辛い出来事だったと思います。


唾を吐く動作をするボーなんて見たくなかった。

 

ウッディにグチグチ文句をいう嫌味ったらしいボーも嫌。

 

ウッディを無能扱いしたり「あなたはただ私の言う通りにしていればいい」という考えのボーも嫌だ。


彼女は陶器製だけど、ウッディを信頼していて、繊細な心の持ち主かと思えばウッディへのアピールは意外と大胆だったり…大きくスポットを浴びなかったものの、彼女の優しさと、信頼する者を最後まで信じることのできる「強い」女性だということを感じたんですよ。

「1」のラストシーン、それまでゆったりと動いていたボーがウッディにキスをする際に、自ら彼を抱き寄せ、とても嬉しそうにしています。そのギャップも彼女の魅力だったのに。

 

今の製作陣は、そんな彼女を「弱い」と思ったのですか?「ドレスやスカート、ワンピースは『弱い女』の象徴。男は無能で頼りない。だからマントにズボンで男より強くて格好いい今風の女の方が良い」って思ったんですか。


強い女なら、前作のバービーなんかが当てはまると思います。友人を傷つけられ、恋に落ちた相手や、自分より権力のある相手に意義を申すことのできる女性の方がよっぽと男らしく、カッコよくて憧れます。


彼女がまだウッディのことを理解していた様でしたが、「そこが彼の愛すべきところ」みたいな台詞も散々貶した後だから心に響きませんでした。貶すことが出来るほど信頼が厚いってこと?

 

ならばどうしてそんな必要以上に貶したりしたんですか。過去に何が起きて変化したのかを回想ありで本編でやってください。「いろいろあったのよ、外の世界に行ったら考えが変わったの」っていう台詞だけで察すことなんで出来ません。続編でやるのはずるいと思いますよ。

 

これではボーというキャラは未完成のままです。 


新キャラの印象がイマイチ

フォーキーも面白いキャラかと思えば、後半あんま出番ないじゃないですか。掘り下げれば面白いキャラになれたと思います。


ギャビー・ギャビーはねえ…ウッディのボイスボックスを強奪しようとしたのがいただけない。その後はウッディに同情を買うような形で(書き方が悪いですが…)、彼からボイスボックスを譲り受けます。

 

おもちゃとして、彼女は新しい持ち主を見つけたのですが、スタッフロールでボイスボックスを用いて遊ばれるギャビーがあれば良かったな、と思いました。一回引っ張っぱられただけでは、本当におもちゃとして遊ばれているのかとモヤモヤしてしまいます。

 

 

どうしてボニーはウッディ「だけ」飽きた?

これが一番謎。短編を観ても「3」を観ても、彼女がウッディを無視した描写なんてないですよ。他のおもちゃたちと同じようにウッディで遊んでいました。


彼女がおもちゃ自体に飽きたなら他のおもちゃも雑に扱うと思うのですが。

 

ウッディが男だから遊ばなくなった、というのなら何故バズで遊んでいたのですか?

 

古いおもちゃだから?なら何故ジェシーは無視されなかったのですか?


どうしてウッディだけ無視?

 

「飽きた」とかそういう台詞も無しにずっと無視。現実なら飽きることに理由はいりませんよ。ですがこれは物語。物語は描写が命では?前から少し飽きていたなら理解はできますが、今回でいきなりウッディだけ無視はこの展開にしたいためにボニーを悪者にしたとしか思えません。

 

ボニーは「大切にするって約束してくれるかな?」とアンディから彼の「宝物」を貰い、そんな彼の気持ちを汲んだのか、彼女はめいいっぱい喜んでいました。別れの際には、ボニーではなく、彼が大切にしていたウッディに手を振らせたんですよ。

 

都合良いリアリティーと理不尽な展開

  • 都合よく一人だけ無視
  • 二回もウッディを踏んだのに何の違和感も感じないボニーの父
  • ブレーキ・アクセルのペダルがひとりでに動いてもペダルを確認しようとしない
  • ほとんど出番のない既存キャラ

 

 

 

「持ち主がウッディに飽きたらどうするか」というコンセプトは良かった、だがテーマが多く、どれも中途半端になっているのでは

 

ジョン・ラセター氏が関わっていたときにも

――そもそも誰が「4」をやろうなんてクレイジーなアイデアを考え出したのでしょうか。

製作総指揮を務めるアンドリュー・スタントンが出したアイデアなんだ。彼は『トイ・ストーリー』シリーズの脚本をずっと担当してきたんだけど、そのクレイジーなアイデアを出したのは彼だからね。

実際、このアイデアが生まれたのは「3」を作っている間だったんだけど、ずっと秘密にしていたんだ。何年もずっと誰にも言わないで、そのアイデアを温めてきたんだ。リー・アンクリッジ、ピート・ドクター、ジョン・ラセターピクサーのスタッフに「4」の話をしたんだけど、その時に「3」に出ていなかったボー・ピープを再登場させたらどうかという話になった。

ウディはアンディの部屋から、女の子の部屋に移り住んでいて、一番お気に入りのおもちゃじゃなくなっていた。そのタイミングでウディが、ボー・ピープに再会したらどうなるだろう、とね。そんなアイデアに対しては、みんなワクワクしていたよ。

 

10年周期?「トイ・ストーリー4」こうして出来た | 映画界のキーパーソンに直撃 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 より。

 

一応練られていた内容だったそうです。この時点で

  1. 持ち主のナンバーワンではなくなったウッディ
  2. そこでボーに再会したらどうなるか

というテーマはあったのですね。

 

そこから

  1. 持ち主に無視されるウッディ
  2. 「フォーキー」というゴミから作られたおもちゃから、命とは何かという問いかけ
  3. 「ギャビー・ギャビー」という壊れたおもちゃの存在

が加わり、結末は当初とは違う

 

ウッディは持ち主のいないおもちゃになる

 

というエンディングで製作されたから、ちぐはぐな印象を受けてしまったのかなあ、と思いました。(ロケットニュースの記事より)

別の記事では「ボーがウッディ達の元へ戻る」というのが本来のエンディングだったそう。しかし、クーリー氏がこれでは物足りない、と変更したそうで。

 


“ウッディは「おもちゃ」じゃない。彼はボイスボックスを、つまり「おもちゃ」であるギミックを譲り、その役割を終えた。もうスタッフやファンの声ではなく、物語を抜け出し、自分で行動し、現実を生きる「生命」として存在するようになった。我々の生きる世界でも、他人の役割を決めつけてはいけない”


ということを伝えたかったのかな、と私は思いました。

さらにボニーの描写から察すると

 

「人間はいつかおもちゃに飽きる。忘れられる」

 

いうことも訴えたいのですかね。


ならばそこに至るまでを丁寧に描いてほしかったです。

 

 

 

これまでの「トイストーリー」を否定が本当のテーマ?

ウッディと別れるシーン、お馴染みの仲間は「ボーと一緒に生きていくのか!ボニーは任せろよな!」と、あまり別れを惜しむ感じではなかったように見えました。まあバズは寂しそうでしたが。

 

そもそもウッディは「3」が終わった後にもアンディアンディ…と引きずっていなかったと思うのですが。


アンディがバズ達の入った段ボールを屋根裏に移そうとする前に、彼らを「ボニーのもとへ届けてくれ」と現実(人間)に干渉するタブーを犯してまで、メモを残しました。

ウッディはアンディと共に大学に行く予定でしたが、それでも彼はバズ達のいる段ボールに入ったんですよ。「もうアンディは一人でも大丈夫だ」と、ひとつの別れを経験し、ボニーの元で、また皆と共に新しい生活を過ごしたことで一応は締められたと思いました。ボニーの家でも楽しそうに笑っていました。ボニーのおもちゃとして何の不満もなく過ごしていたと解釈してましたよ。

これじゃあアンディの元を離れたウッディの選択を否定しすぎではないでしょうか。

 

「キミはともだち」や以前のトイストーリーからして「おもちゃは持ち主(君)と友だちなんだよ」って話ではないのですか。それなのにウッディは「忠誠心」でボニーのもとにいたのか。

 

自分がおもちゃであることをやめるが、持ち主になってくれたボニーの新しいおもちゃはなくしてはいけないという忠誠心もあり、フォーキーに「おもちゃであることを」委ねて去っていった?もうわかりません。

 

それに加え、エンディングを変えたために前半と後半でしっちゃかめっちゃか。

「ウッディは裏切らない」って、ボニーの元を離れたじゃないですか。もしボニーがまたウッディで遊びたくなったら、もうボニーはウッディと遊べないじゃない。「おもちゃであることをフォーキー、ギャビーに委ねた」なんて綺麗な言い方したけど、本当は逃げたって書きたい。こんなのは逃げだよ。

シドのおもちゃたちだって、魔改造されたり他のおもちゃがひどい目にあっても逃げなかった。

サニーサイド保育園のおもちゃたちだって、保育園の児童(いもむし組)に乱暴に扱われて脱走を試みた。だけどロッツォはそれを許さなかった。彼は彼なりに「おもちゃ」であることを捨てなかったのか?なんて思ってしまいましたよ。こんなところでロッツォを擁護するとは!

 

 

ウッディと別れるとき、ブルズアイの反応が薄かった。というより写ってなかった気がします。ブルズアイに限ったはなしではありませんが。

本当はブルズアイはとても辛かったんじゃないかと思います。「2」のとき、ウッディにアンディのもとへ行こうと誘われ、すごい喜んでいたり、「3」だと、屋根裏にひとりぼっちになるというのに、ウッディについていこうとしたくらいにウッディを愛していたのに。

 

否定とは違うけど、幼少期のアンディの顔が以前と違うことに違和感を感じました。「3」の頃でも以前の同じ顔だったのに、何故?

 

 

【ここが良いよ4】


映像美

美しいとしか言い様がありません。冒頭の嵐のシーンは目を見張りました。豪雨に流されそうになるラジコンカーのRC、ボーとの別れなど、辛い始まりを印象づける圧巻のCG。
夕日が差し込むアンティークショップをシャンデリアが彩る景色は、ボーがお気に入りなのも共感できます。

 

ボーの思い出を語るウッディ

「暗闇が怖かったモリーを、電気スタンドの側にいたボーは見守っていた」って言う感じの話だったんですけど、名シーンだと思うんですよ。

彼女は陶器故に、ウッディたちのように派手に振り回して遊んではもらえないけど、電気スタンドの側で誰かを温かく見守っていたんだねって。彼女の包容力を表現するには充分であり、それを嬉しそうに話すウッディを見て私まで嬉しくなりました。

 

毎回恒例のゲストキャラ

私が確認できたのは

「ティン・トイ」

モンスターズ・インク」からブー

トイストーリー短編キャラ(トランジトロン除く)

ですかね

 

 

【最後に】

4に触れるのはこの記事で最後にしたいので不満すべて綴りました。この作品が「本当のトイ・ストーリー」なら私は知らないままで良かったかな。既存キャラを雑に扱われたのが一番悲しかった。

 

綺麗事で何が悪いんだ。フィクションはフィクションのままで終わらせて欲しかった。

こんなグチグチ文句垂れてるけど、結局私が言いたいのは「『ボーとの再会を経て、今の自分は本当に幸せなのか?』というテーマはよかった。だが他にも描きたいテーマも混ぜてしまって説得力に欠け、既存キャラをあまり活躍させずにボーとウッディだけで完結させるのは『トイ・ストーリー』としてはどうなの」ってことが言いたいの。

 

 

くっそー、どうしてこうなるのかなあ。

ウッディは決して仲間を裏切らない、って言っていたじゃん。そしてなにより、ウッディは「持ち主思いの、頼りになるカッコいい保安官」なのに…

 

P.S.

こんな終りじゃ、ウッディにお疲れ様って言えないよ。なんかこう、もっとあったはずだよ…ごめん、ごめんねウッディ…

 

何でエンディング変えたの。というより、

どうして世界観を壊してまでこんな話にしたの。オリジナルでやってほしかったよ。続編だからこそできたかもしれないけど、それじゃ辛すぎるよ。

捻りがなくても、捻りがあっても、キャラクターの信念だけは変えないでよ。

ウッディの信念を曲げてまでこんなことが描きたかったの?前に書いた通り「皆ボニーのことなら俺たちがいるから平気だって言ってたしいいか。ボーが好きだから、じゃあな」っていう逃げだよ。

4のウッディ、もうなんか悲しいとしか言えないよ。ラストで台無しだよ。

でも、結局はこういうテーマなんでしょうね。

「型にはまった世界から抜け出してもいいよ。自分の信じた道を進んで」

 

 

 

あまりにも悲しいから「天使のはね 小学校入学編」を観ます。ウッディのボイスボックスだってある。心配そうにボニーを見つめるジェシーの肩に触れるバズ。彼女を心配するハム。寂しさのあまり、見守っていたリトルグリーメンとフォーキーもふっ飛ばしてしまうくらい心配するレックス。ダッキー&バニーがボニーの元にいる。フォーキーも彼女を心配している。

 

それでいい。

それでいいんだ…